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2015.05/28 私のドラッカー(1)

ドラッカーはもう古い、という人がいる。また、ドラッカーは「ネクストソサエティー」を遺稿にして世を去った。確かに過去の人かもしれない。しかし、今世の中で起きている変化は、まさにドラッカーがその著書の中で指摘していたことであり、むしろ今ドラッカーが旬なのかもしれない。

 

初めて読んだドラッカーは、「断絶の時代」であり、高校1年の時に父親に勧められての受動的読書である。世の中は大学紛争の末期的症状で高校にまでその余波があり、通っていた高校では校長室封鎖事件が発生した。そして一週間授業を中断し、全校集会が行われ、高校生の政治活動について活発な議論が成されていたそのときに「断絶の時代」を読んでいた。

 

新聞にもこの本のタイトルが毎日のように出ていた。本のPRとしてではなく、親子の断絶も含めた世代の断絶の意味で用いられていた。ドラッカーの断絶の時代とは、経済や技術などの断絶を論じた本である。タイトルだけが一人歩きしていたのである。

 

ベストセラーになった本のタイトルが一人歩きし、社会現象の説明に使用されるのは、よくあることである。しかし、高校生の時に体験したその現象は新鮮だった。本は難解であったにもかかわらず、断絶の時代という新聞のタイトルに納得できる現実の中に生きていた。

 

しかし、ドラッカーの「断絶の時代」は、今読んでも役立つことが書かれている。おそらく日本の知識労働者は皆読むべきかもしれない。例えば、以下の内容である。

 

「断絶の時代」(1968)P.F.ドラッカー(上田惇生訳)より

「年齢をもって退職させることは残酷であるだけでなく人的資源の浪費である。年齢をもって退職させることが必要なのであれば、彼らが第二の人生を送ることのできる仕組みを作らなければならない。

----------(中略)--------------------------

人は年によって老いるのではない。65歳でも35歳のものより若いことがある。また、人はみな同じように老いるのではない。エネルギッシュに働くことはできなくとも、判断力に狂いがなく20年前よりも優れた意志決定を行う人がいる。助言者としても欲を離れ、かつ知恵と親身さを併せもつならば、最高の仕事をする。」

カテゴリー : 一般

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